ジンライムの一路

私の聖書勉強、ほか徒然

大いなる救いの歌 詩篇36篇

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ここには大いなる救いの歌があります。救いとは罪から私たちを救い、神の栄光にあずからせることです。罪の性質とは何か、その罪から私たちをを救う神のご性質とは何か、救われた者の生涯とは何か、そのすべてを本篇に見出すことができます。


まず1~4章をご覧ください。ここに罪の正体が暴かれております。いわゆる悪魔の誘惑が、どのように臨んでくるものであるかを示しています。私たち人間は本当に弱い存在です。なぜならば肉を持っているからです。そして悪魔はその弱さをねらねってきます。だから私たちがどこまでも悪を嫌っていかなければ、いつの間にから私たちがその悪魔の誘惑に陥ってしまい、信仰生活は根こそぎだめにされてしまうでしょう

 

1 罪は悪者の心の中に語りかける。彼の目の前には、神に対する恐れがない。2 彼はおのれの目で自分にへつらっている。おのれの咎を、それを憎むことで。3 彼の口のことばは、不法と欺きだ。彼は知恵を得ることも、善を行うこともやめてしまっている。4 彼は寝床で不法を図り、よくない道に堅く立っていて、悪を捨てようとしない。

 

罪はまず人の心に宿り、人に語りかけ、悪を行わせます。罪の虜とされた悪しき者の描写はこうです。神を恐れない。自分にへつらう。その口から出る言葉は不法と欺き。神の知恵を求めない。善を行わない。常に悪を企む。不正な道に身を置く。悪を嫌わず、悪を喜ぶ。他人事ではない、これが救われる以前の私たちの有様でした。


次に5~6節をご覧ください。その罪から私たちを救われる神のご性質です。神のいつくしみがいかに大きく、神のまことがいかに尊いかが述べられております。

 

5 主よあなたの恵は天にあり、あなたの真実は雲にまで及びます。6 あなたの義は高くそびえる山のようで、あなたのさばきは深い海のようです。あなたは人や獣を栄えさせてくださいます。主よ。

 

天にまで及ぶ恵み、雲にまで及ぶ真実、高くそびえる山のごとき義、雲にまで及ぶ真実、大いなる淵のような裁き。こに全被造物の救いの土台があるのです。


さらに7~12節をご覧ください。

 

7 神よ、あなたの恵は、なんと尊いことでしょう。人の子らは御翼の陰に身を避けます。8 彼らはあなたの家の豊かさを、心ゆくまで飲むでしょう。あなたの楽しみの流れを、あなたは彼らに飲ませなさいます。9 命の泉はあなたにあり、私たちは、あなたの光のうちに光を見るからです。
10 注いでください。あなたの恵を、あなたを知る者に。あなたの義を、心の直ぐな人に。11 高ぶりの足が私に追いつかず、悪者の手が私を追いやらないようにしてください。12 そこでは不法を行う者は倒れ、押し倒されて立ち上がれません。

 

救われた者の美しい絵画がここにあります。それは神の恵みの満ち溢れる生涯です。神の御翼の陰を避け所とし、主の臨在が満ち溢れる神の家の豊かさに満たされ、楽しみの流れで潤され、いのちの泉によりいのちに満たされ、神の光により神の真理の光を受け、絶えず神の慈愛を受け、常に悪しき者から守られるというのです。

 

かつて自分がどのような罪人であったかを知りましょう。十字架の救いに神の恵みとまこと、義と裁きのすべてが現されていることを知りましょう。復活の主を仰ぎ、聖霊に満たされ、豊かなキリスト者生涯を楽しみ、救いの恵みを誰にも証しする者になりましょう。


預言者エレミヤの言葉に、人間は自分で掘って池をつくり、その池にためた水を飲むような生活をしているというのがあります。ため池の水は古くなり、ボウフラがわく、そしていつか干上がってしまいます。ところが、泉を見いだすならば、そこからは清水が湧き上がっていて、その新しい水がいつも私たちののどをうるおし、命を養ってくれる。だから私たちにとって大事なのは、その生命の泉がどこにあるかということに気づくことなのです。

 

9節に「命の泉」とありますが、アブラハムによってイシマエルを産んだハガルは、女主人サライから嫌われ、追い出され、イシマエルと荒野をさまよいました。主人からもらったパンと水がなくなり、ハガルは祈った。イシマエルは泣いた。そのとき「ハガルよ神はわらべの声を聞かれた。臆することはない。そのわらべを行って抱け」という声があり、イシマエルを抱き上げたところ彼女の目が開かれて、そこに神の供えたもうた泉のあるのを見、その水を飲んで救われました。

 

私たちは、ともすると自分の からだ、力、財産などに根拠をおいていこうとすします。しかし、それはハガルが主人からもらった皮袋の水のように、いつかなくなってしまう。けれども神のもとには、私たちを本当に養ってくださる生命の水の湧き上がる泉があり、その恵みといつくしみは尽きることがありません、とダビデは歌っているのです。

 

「われらはあなたの光によって光を見る」……わたしたちは神の光に照らされて神を見ることがでます。十字架を負う力を与えられて十字架を負うことができます。私たちは神の愛に愛されて神の愛を知ることができます。だから私たちが今、どんなに乏しくても、どんなに暗くても問題ではありません。神の恵みを受けるとき、神が光を注いでくださるとき、私たちはその所で本当に満たされ、明るくされて生きていく者となるのです。